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真剣勝負とは [言葉とスポーツ]

わが代表チームはフランス代表を本気にさせた。
イングランド代表は真剣であった、とよく聞く。
だれが決めたのか。
なにをして、本気か、本気でないかをしるのだろう。
どこをとって真剣とするのだろうか。

いいかげんにやめようじゃないか。
いっけん、わかっているように見えるけれど、本当はわけのわからない、こういう妙ないいまわしは。
害がある。

真剣勝負とはどんなときのことをいうのか。
自分にあてはめてみればいい。

現況をなんとか打ち破りたい。そのために真剣勝負。
ちがう日常をむかえたい。だから真剣勝負しなくっちゃ。

いいや、ちがう。
虎に襲われたとき、どうするだろうか。
暴漢におそわれたとき、どうするだろうか。
著者とてもどうしょうもない。
一撃必殺でこられたらたまったものじゃない。

このとき虎や暴漢は真剣勝負を挑んできているのである。
善悪ではない。
真剣とは本気のことをいうのでもない
まさしく真剣とは本物の刀で勝負することをいう。
厳しい言葉であって、軽はずみでつかえるほどやすい言葉ではない。


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なぜ監督コーチはえらそうに椅子にふんぞりかえるのか [言葉とスポーツ]

ちびっこたちと河川敷グランドで練習する。
月1回の割合だ。
フルコートはありがたいが、残念なのはそこが土のグランドだということである。
ならびの野球場の外野には芝が緑々としているのに、いまもって球技場は土のままである。
球技場の横にハーフコート?があって、そこは芝生だ。
手入れはあまりなされていない。
そこで50人はいたであろうか、中学校か高校か生徒諸君がサッカーの練習にいままさに入ろうとしていた。
ちびっこたちとシュート練習をするとき、わたくしはゴールの横に立ち、枠をはずれたボールを追う。
ときにキーパーになったりディフェンダーになったり。
ちびっこたちに声をかけつづける。
それがわたくしの役目である。
しばしばボールは手の届かないいところへころがっていく。
そのとき、となりで練習する生徒諸君の顔をみておどろいた。
覇気がない。
つまらない。
声は出ている。
といっても、いつものどうでもいい掛け声のたぐいである。
そのなかにひとり、椅子にふんぞりかえって、しかもおっかない顔で座っている人がいた。
生徒諸君がゴールをはずすたびに、かれは、
「いれろよ。」
でかい声でくりかえす。
わたくしは瞬間に憤りをおぼえた。
教師の、監督コーチのいったいどこがえらいというのか。
かれらよりもさきにこの世に生まれ出ただけじゃないか。
それは教育の目的が、年長者のいうことをきいていれば間違いはおかさない、という思い込みが無反省のまま放っておかれてきたからである。

ちょっとだけましなものがこどもたちに教える。
こどもたちよりもすこしだけ物事について知識あるものが、知識の少ないこどもたちを教える。
それがほんとうのところなのじゃないのか。
教育への期待とはその程度であるべきだし、その認識でたりる。
よき先輩、兄貴分にはなりえても、頭ごなしに命令をだせる資格なぞあろうはずがない。
これは軍事教練の悪しき風土が脈々と、しかも堂々と跋扈(ばっこ)するとしかいいようがない。
だからニッポンは戦争に負けたのではなかったのか。


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大相撲がつまらない [言葉とスポーツ]

以下のものは2004年に書いたものだ。
組織はあれからまったくかわっていない。
いや、そもそも変れないのではあるまいか。
それがニッポン。
よくもわるくもわれらが祖国。

  大相撲がつまらない -----------------------------------------------------

 曙が相撲をやめた。

 小錦といい、それはけっして偶然ではない。

 相撲が発展するには、いまよりもっと国際的に開放せざるをえない。
 にもかかわらず。
 母国語に英語をもつ小錦や曙に逃げられた協会側に、その不自由さに気づく人は果たしているのだろうか。
 いるにせよ少数の傍流でしかないのだろう。
 口にするのもはばかられる。
 辞めたいのなら勝手に辞めろ。
 そんなところだろう。

 かわいがる、という欺名のもとに堂々と行われているいじめ。
 その陰湿さは他の国にはみられない日本独特のものである。

 年寄株。
 なぜあのような不確実が高価で売買されるのだろう。
 それすらも疑わない。
 それがいままで行われてきたという事実のみにあぐらをかいているにすぎない。
 そこにあるものは既得権の死守でしかなく、老弊である。

 20歳代で引退。
 なんたる老け込み具合であるか。
 そんな年寄じみた溌剌のない社会が魅力をもつとは到底考えられない。
 すたれることはもはや自明の理となった。

 30、40歳で現役。
 そういう力士をつくらなくてはならないのに。

 場所数、地方巡業が多すぎて力士への過大な負担になっているのである。
 関取ではない。
 力士がへとへとなのである。

 高見盛関が人気である。
 これすらも年配、子供に人気があるにすぎない。
 かれらと同輩の諸君は、妙な気合のいれかたをする相撲取り程度にしかかれをみていない。

 北の湖さんは賢明なかたである。
 危機感もひしひしと感じていらっしゃるであろう。

 協会に拘束しなくても、曙、小錦の協力はえられよう。
 柔軟に、斬新に、変っていかなくて、未来の大相撲はない。

 それにしても大相撲経験者のみで構成される協会というのも妙である。
 ふんどし組ばかりで、背広組がいない。
 興行であるいじょうこの方式で差し支えなかったのだろう。
 いままでは。
 だが、このままだと相撲協会は協会自体で変ることは永遠にできない。
 別の大相撲団体がつくられるまでは。

 閉ざされた社会とはそういう問題を胚胎しているのである。
 いつも。
 つねに。(1.21.04)


相撲協会は法人をやめ、株式会社化するべきではなかろうか。

あわせて、
 大相撲はいつから国技になったの?
 http://www003.upp.so-net.ne.jp/fujun/fujun_sports.archives/fujun_sports.2.16.03.html


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カタカナ言葉 スポーツと体育のはざま [言葉とスポーツ]

大学体育がかまびすしい。
それはたぶん大学スポーツではないからではなかろうか。
体育、育成が延々とつづくばかりだからなのではあるまいか。
いっぽうスポーツは遊びと同義語ていど。
ニッポンの教育界にスポーツという言葉の意味は浸透していないのではなかろうか。

わたくしはおもう。
ニッポンではカタカナ言葉の意味をいまだに整理しきれていないのではあるまいか。
ハラスメント。
コンプライアンス。
ユーモア。
ニッポンの苦手は、つまりカタカナ言葉そのものである。
そもそも日本語にない表現だからしかたがないのかもしれない。

戦前からの体育、育成、ということばを無反省に放置したままであるからではなかろうか。
このような騒動はくりかえすだけで、いっこうにあらたまらないであろう。

2015年イングランド、ラグビー第8回ラグビーワールドカップ。
初戦。
ニッポンは南アフリカに勝った。
それをなんどもなんども玩味賞賛するのはいいだろう。
それはわかる。
が、結果的にニッポンチームはそのさきの決勝トーナメントにすすめなかった。
2戦目スコットランド戦の負けっぷりがひどすぎる。
その敗因分析。
そこにこそかまびすしいほどの仮定とその対処、アイディアがでてこなくてはならないはずである。
そこでつまずいたからこそ、そのさきにすすめなかったのである。

ラグビーワールドカップニッポン大会でニッポンチームがうまくいくかどうか。
核心はそこにしかない。

カタカナ言葉ばかりが苦手なのではないのだろう。
敗因をさぐることも、分析することも、大の苦手なのかもしれない。
それはいわばこたえのない分野、である。




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めきき、目利き [言葉とスポーツ]

この邦には、めきき(目利き)がたりないのではあるまいか。
圧倒的に。

ちびっこたちに才能があるか、ないか。
わたくしたちは簡単にいいきってしまいやしないだろうか。
むしろ、問うべきは、判断をくだすがわであるわたくしたちおとなにこそ、ひとを視る能力があるか、ないか、ではなかろうか。

目利きは、見るところがちがう。
なぜならば、どうでもよいところは意に介さないからだ。
たいせつなことはなにか。
競技の核心を、かれらは見抜く。
競技の核心とは。
その競技が、なぜおもしろいのか、ということだ。

めきき(目利き)こそ才能であり、めきき(目利き)こそたいせつに、ただしく評価するべきものなのである。






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ベースボール、そして、野球 アジアシリーズ [言葉とスポーツ]


 Baseball を野球と表したのは正岡子規。

 わが国で行われているのは、たしかに Baseball ではなく、野球である。
 全体を支えるのが球界であり、そこで普及伝播するのが野球道。
 もちろん似非もある。
 それは求道であり、また精神であり、雰囲気である。
 空気ともいう。
 野球はあくまでも野球である。
 この国で野球は野球として完結している。
 それはBaseball とは似ているが異質なものである。
 たたかう相手が Baseball だと、こちらも Baseball で挑めるのだが、野球が負けた場合(めんつ。)のことを考慮してベストメンバーは組めない。
 というよりも責任の明示をしたくないがために、組まない。
 そののち、野球圏内に再突入するや、またもとの野球に戻る。
 これだからいつになっても Baseball には勝てない。
 でも、ひょっとして、野球を底上げ(むしろ底辺の拡大か。)できれば状況はちがったものになる、かもしれない。

 野茂英雄選手は Baseball がしたかった。
 ただそれだけだ。
 他意はない。
 もちろんいまも同じである。
 先駆者の動機というものはいたって単純であるものだ。
 それゆえに強固でもありうる。

 野球は野球なりにおもしろい。
 Baseball は大味でおもしろくなく退屈きわまりないという。
 ひとそれぞれか。
 本場ではすでにワールドシリーズをたたかっていて、その勝者が世界一といっている。
 いまひとつのチャンスはアジアシリーズと名うってみてはどうだろうか。
 アジア圏であれば出場制限枠を設けない。
 そこでするのが Baseball ではなくて野球なら、Baseball と競える可能性が見えてもこよう。

 パシフィックリーグなんていうのはよして、モンスーンリーグ、タイフーンリーグ、レインフォレストリーグなど名称にはことたりる。



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