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数学、算数が苦手なわけは [言葉と学問]

数学、算数はおもしろい学問だとおもっている。
なぜ苦手な人が、これほど多いのだろう。
教える人に、つまらない者がなるからではなかろうか。
算術を無味乾燥にしている元凶は、それを教えるひとがそもそも楽しんでいないからである。
児童、生徒が学ぶものは、すくなくとも答えのある学問だ。
答えをみちびきだすことは、いわばパズルと同質ではあるまいか。
楽しいはずのものである。
それが楽しくない。
むしろ苦痛だといわしめる。
多くの教諭がすでに算術の楽しさを忘れてしまっているからである。
学問はつまり楽しさを語り継ぐことでしかない。
理科系、文化系というくくりもまた、まちがってはいまいか。
理科と数学は数字をあつかうからと同じように語られる。
が、似ているということは、あきらかにちがう、ということのはず。
学問とは、答えのあるもの、と、答えが見いだせていないもの、とでくくるべきである。


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アカデミックの不振 [言葉と学問]

 毎年、数万の経済学士を生み、数百のエコノミストを抱えているにもかかわらず、このていたらくはなぜだ。

 そもそも学ぶ学問がなっていないからだとは気がつかないのだろうか。
 これでは有用ではない。
 むしろ無駄である、と。

 アカデミックの不振は、学問の教科書化に危機感をいだけず、ただそれへの注釈に終始し、活況をおびる努力、つまり検証をおこたってきたからにほかならない。

 時代が閉塞しているのではなく、時代が閉塞しているかどうか検証もしないまま、無責任に時代の閉塞を反射的に口にする。
 そこに執着するあまり、近視眼でしか物事を見られない。
 そのような人のなんと多いことか。
 悪い癖、というには、あまりにお粗末。

 時代は閉塞などしない。
 時代は人が勝手につくった概念である。
 そこに考えが及ばないから、経済活動の主体を人だと勘違いする。
 われわれの営みは地球に拠らざるをえないのに、肝心な地球時間すら見えてこない。

 時代とは目安でしかない。
 人は概念で遊んでいるにすぎぬ。
 遊びは楽しいばかりを意味しない。
 こういう悪い癖、お粗末さをだしてさえ、ときに人は遊ぶのである。

 時代は閉塞した、とする人間が一定量を超えているにすぎぬ。
 ましてメディアでの無反省な吹聴をくりかえし耳にすれば、暗示にかかる人の増えるのはやむをえない。

 メディアにはアナウンスしない勇気もある。

 それがアナウンスする使命とともに同価値なるメディアの存立基盤でもあるのにもかかわらず、昨今の単なるたれながしに危機感はまったくない。

 メディアはメディア自体がその基盤を崩し、その果てに、いつも自己瓦解してきたではないか。

 いつも。
 なにを勘違いするのか。



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